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鋼の錬金術師 進撃の巨人
2018/ 10/ 10人は何かを得るためには 何かを失わなければならない。
いろんな漫画で使われている言葉です。
私も昔からそう思っていました。
私の許容量は大きくない
何かを得たらその分なにかを失わなければ
私は一杯になってしまうと
今から言うことは強がりに聞こえるかもしれないけども私の本心です。
中学の時
みんなの輪の中心にいることの楽しさを覚えた。
本当に楽しいということがなんなのかを学んだ。
その代わりに偏差値という学歴社会において重要な数字は下がった。
高校の時
普通には出会えないような人たちと出会い
いろんな考えができるようになった。
今でも少しやるようなギターやスノボーなどの趣味はこの時に覚えたものが多い。
その代わりに良い大学に入学という肩書をすててA判定の楽な大学を受験した。
大学の時
はじめて大恋愛をした。そして大失恋をした。
大人になることの無意味さと、本気で好きになることの素晴らしさを学んだ。
その代わりに大学を4年で卒業できず 一年分余計に学費を親が払った。
大学を一年留年したからこそ
出会えた友人達がいた。
いまでも連絡をとっている友人や 飲んでいる友人がそうだ。
私は何かを失ったときに かならず 大切な何かを得ている。
今、私が失ったものは決して小さくないはずだ。
それは偏差値や 良い大学卒業の肩書き 一年分の大学の授業料よりも
ずっと ずっと 大きなものだ。
私は大切な何かを得ることができるのだろうか?
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